2012年2月 7日(火) 11:00 JST
私は長年、関西で生活してきた。
ただ、以前からの心の病気が悪化した為、仕事を辞め実家の有る広島県呉市で静養している。
今週後半からふたたび関西が生活のメインになるので、その前に故郷の探検をと思いあちこちに出掛けた。
まだまだ、私の知らない故郷の秘密がそこには有った。
本文は宗教的・思想的な話題を含みます、敏感な方はぜひご覧ください。
呉地方で「呉」というといわゆる港を擁する旧市街地を指す。
呉の旧市街地とは東を休山、西を鉢巻山、北を灰ヶ峰、そして南を呉湾に囲まれた地帯を言う。
かつては東側、休山の麓に海軍が本拠地を置いていた。今でも海上自衛隊の本拠地である。
この海軍を支えた休山と呉の北を守る灰ヶ峰にチェ・ゲバラのTシャツを着て登った。
時間と体力の関係で車ではあるが、それは冒険であった。
他にもいろいろ探検し報告したい事は多くあるが、話が長くなるので割愛する。
ここでは休山での不思議を語りたい。
呉を囲む山の中で灰ヶ峰は呉全体の象徴とも呼べる山だが、こと休山は海軍を支えた山と言える。
未だに麓や峰に海軍の名残りを見つけられる。
今回の探検で気づいたことは灰ヶ峰が陽で、この休山が陰であるという事だ。
山頂へ向かう車道も湿っぽく薄暗い印象が有る。
かつての高射砲台地やトーチカの跡をぬけ、曲がりくねった道を登る。
途中、謎の塔がある、比較的最近に立てられた物で、仏舎利塔の様な雰囲気である。
近くに慰霊碑もいくつか有る。地元の有志が慰霊の為に建てた物らしい。
http://maps.google.co.jp/maps?q=&ie=UTF8&ll=34.213945,132.55941&spn=0.002036,0.003401&t=h&z=18
慰霊の念をいだきながら、いくつかの石碑を見て回る。
???
とある石碑に掘られた文字「元大本営跡」…
広島に大本営が有ったのは明治時代、日清戦争時に広島城にである。
謎な石碑である。
この辺からだんだん休山トワイライトゾーンに突入し始めていたのかもしれない。
まだ、昼飯前だったが…
その場を離れ、休山山頂へ向かっていく。
地図で見ると八咫烏神社奥ノ院や若宮神社というのがある、本当はそちらに行きたかったのだが……
「高天原神社三照宮」なる場所に迷い込む。
道端に石柱が並び「日本国民へのしおり」なるありがたい言ノ葉が一柱ごとに細かい字でプリントされたブラスチックプレートで貼り付けられている。
「神の国日本 交通安全 緑を大切に」という標語のようなものから、「日本は古代世界の中心であった」「モーゼの十戒は日本で授かった」など、私の知らなかった真実まで日本国民の為に書き記してある。
さて、その石柱群の脇には「高天原神社の由来」なる看板があり、長々とこの神社について書かれている。
要約すると「日本国中の神々を一度に参拝できる大変ありがたい場所である。」と云うことである。
それでは、そのありがたい場所に参ろうと鳥居をくぐり境内に入った。入るとすぐに掲示板があり、そこの張り紙によると、この神社には三十五萬の神々がお祭り(原文ママ)されているらしい。
あまり広くない境内に、いくつかの祠と大きな岩、高い石塔が建っている。
石塔にも様々なありがたい言ノ葉が刻まれたりプラスチックのパネルで貼り付けられている。
わたしがその中でもっとも気に入ったのは、この一文である。
「神・佛・キリスト 三味一体」(原文ママ)
どことなく美味しそうである。
私はこのような素晴らしい場所が故郷にあることを、この年になるまで知らなかった事を後悔した。
ちなみに場所はこの辺である。
http://maps.google.co.jp/maps?q=&ie=UTF8&ll=34.219889,132.567526&spn=0.002129,0.003401&t=h&z=18
ここで気づいた問題は、先ほどのグーグルマップである、「地図」「航空写真」を切り替えながらズームアップ・ダウンして頂きたい。隠し文字の様に「高天原神社三照宮」が浮かび上がってくる。
私が見たあの「高天原神社三照宮」は本当にあの場所に有ったのだろうか。
それとも私は常世に迷い込んだのであろうか?
知れば知るほど面白い故郷である。
探検はつづく。
この記事にはトラックバック・コメントがありません。
コメントは投稿者の責任においてなされるものであり、サイト管理者は責任を負いません。